Asyaさんがある日自宅の屋根裏部屋で見つけたというネガフィルム。いまは亡き母親が冷戦中のソ連で撮ったものですが、そのほとんどはプリントされずにしまわれていたのだそう。

というのもこれらの写真は、政府へ反抗するムーブメントが密かに行われていたころに撮られたもの。そして母親は写真家として深く関わっていたのでした。

でも当時のソ連政府への批判は、社会主義体制への批判ととられ得る危険な行為。言論統制もあったなか、様々な理由でプリントを控えていたのかもしれません。

58歳でソ連の精神病院(当時は政府への反対派が「精神病患者」のレッテルを貼られ、過酷な環境の精神病院に監禁されたケースも多かった)にて、病で命を落としたという母親。

娘として、Asyaさんは彼女の功績を世に出すことを決意しました。

ちなみに、これらの写真が撮られた1970年代後半から1991年ごろといえば、日本もロッキード事件が明るみに出たり、ゆとり教育が始まったり、ファミコンが出たりリクルート事件が発覚したり、パソコンが普及したり、平成や「失われた20年」が始まったりと激動の20年を過ごしていた頃。

「全ての歴史は現代史である」なんて言葉もあるけれど、今は「」になったその時代の渦中を実際にいきていた人がいる。その瞬間が切り取られている。今それをどう見るか。そんなことにまで思いを馳せてしまう写真です。

世界の、大きな流れのなかで

右は幼い頃のAsyaさんで、左は父親。

Asyaさんは、これらの写真を母親の名前をとって「Masha Galleries」と名付けたサイトで公開中。Instagramでも、多くの反響を呼んでいます。

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