天才芸術家とフランス国王友情の地、アンボワーズ城を巡る
高校生の時くらいからずっとレオナルド・ダ・ヴィンチの追っかけをしている、さとみんです。
初めて彼の「モナ・リザ」を観たのは小学生の時。当時父親の仕事の都合でドイツに住んでいたので、お休みの時によく車でヨーロッパのあちこちに旅行に連れて行ってもらいました。
元祖歴女の母親からは旅行にいく度に、旅行先に関連する歴史上の人物の伝記漫画を買ってもらっていました。
イタリアにいく時にレオナルド・ダ・ヴィンチの本を買ってもらったのですが、そこでふと疑問が浮かび上がります。
「どうしてダ・ヴィンチはイタリア人なのに、フランスのルーブルに『モナ・リザ』があるの?」


誰もが知るレオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』
パリのルーブル美術館に展示されているこの絵は、おそらくこの先ずっと貸し出し等でこの美術館の外に出ることはありません。
かつて盗難事件にも遭ったことがあるため分厚いガラスで囲まれており、訪れた人々は彼女の微笑みを少しでも近くで見ようとこの小さな絵に集まってくるためいつでも人だかりができています。
なぜフランスのルーヴル美術館に『モナ・リザ』は飾られることになったのでしょうか?
フランスとダ・ヴィンチの関係
実はレオナルドは故郷から遠く離れたフランスで生涯を終えたのです。フィレンツェで芸術家としてデビューしてから、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ボローニャ、バチカンなどを転々としていました。


当時のイタリアは、国内の中小の諸国家及び教皇領の勢力争いに、イタリアの覇権をめぐるフランス(ヴァロワ朝)とハプスブルグ家の対立が加わり絶えず戦闘や外交的駆け引きが繰り広げられていました。(イタリア戦争)
レオナルドが当時庇護を受けていたミラノ公国にもフランス軍は侵攻してきます。
当時ミラノ公国の当主であったスフォルツァ家もフランス軍の侵攻により逃亡し、陥落しました。レオナルドもミラノで制作中だった騎馬像の粘土原型を、フランス軍が弓の練習に使い破壊してしまったことに落胆しミラノから離れます。


その後イタリア国内(マントヴァ、ヴェネツィア、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ヴァチカン)を点々とします。特にボローニャでは1502年から約1年間、チェーザレ・ボルジアの軍事顧問を勤めます。
最終的に1515年に即位した、フランス王フランソワ1世の招きによって、レオナルドはフランスへ行くことを決意します。自分のミラノでの活躍の場を奪った原因である、フランスへです。
しかし、フランソワ1世はレオナルドのことを丁重に迎え入れます。フランソワ1世が居を構えたのは、フランスのロワール渓谷の中流域にあるアンボワーズでした。
レオナルドもアンボワーズ城に招かれ親交を深め、彼が現れたことにより、フランスにもルネサンス文化が広まりはじめます。つまりフランスのルネサンスはアンボワーズから始まったのです。
アンボワーズはフランスのどこ?どうやって行くの?


アンボワーズはフランス中部のロワール渓谷にあります。
ロワール渓谷にはアンボワーズを始め、ブロワ、アンジェ、トゥール、モンソロー、オルレアンなど歴史的に重要な都市が点在しています。
トゥールは8世紀にフランク王国とイスラム教のウマイヤ朝が戦ったトゥール・ポワティエ間の戦いの舞台、オルレアンは英仏百年戦争でイングランド軍に包囲され陥落寸前だったところにジャンヌ・ダルクが率いる軍隊によって解放されました。
・アクセス:パリ市内から各電車のルートで約3時間
豊かな自然、田園に囲まれたこの地域はおよそ130の城館が集まっており、優雅な雰囲気から「フランスの庭」と呼ばれています。
その中でも特に美しい居城が点在しているエリアを包括し、2000年に「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として世界文化遺産に登録されました。
もともと1981年に「シャンボールの城と領地」として単独で登録されていたシャンボール城も、この物件に含まれることに。
このロワール渓谷へは、パリからの日帰りツアーへの参加が一番簡単な行き方です。
特に人気なのは、エマ・ワトソン主演の映画『美女と野獣』の舞台となった、シャンボール城。その他にシュノンソー、アンボワーズ城を訪ねるツアーが多いです。


お城の見学に1〜2時間を取られていますが、バスの駐車場からお城までかなり距離があり、移動時間を含めての時間なので、実際のお城の見学時間はもっと短くなるので注意が必要です。
なので、アンボワーズ城だけであればパリから電車で行くことも可能です。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ目当てだったので電車で行きました。
行きはパリ・モンパルナス駅からサン・ピエール・デ・コルプス経由アンボワーズ行き、帰りはアンボワーズ駅からパリ・アウステルリッツ駅まで直通電車を選択。ちなみに、欧州の鉄道を調べるのはRAIL EUROPEが便利でおすすめです。


華やかなパリの街から電車に乗ると一転、美しい田園風景が広がり、まさに前述した「フランスの庭」が感じられます。
また、アンボワーズ駅は良い意味で「The 田舎」の小さい駅。駅から民家の前を通っていくと、眼前にロワール川、そしてアンボワーズ城の城壁が現れます。
アンボワーズ城の歴史を振り返る


アンボワーズ城の歴史は古く、城としての役割を持ったのは11世紀でした。もともと同じ場所に砦が築かれていましたが、砦が築かれたのは帝政ローマ時代、フランスがガリアと呼ばれていた時代でした。
・名称:Château Royal d’Amboise
・住所:Montée de l’Emir Abd el Kader, 37400 Amboise
・地図: ・アクセス:Gare d’Amboise(アンボワーズ駅)から徒歩15分くらい
・営業時間:月により異なる
・定休日:月により異なる
・料金:大人13.10€
・公式サイトURL:https://www.chateau-amboise.com/en/
英仏百年戦争(1337年〜1453年)では、1429年にフランスのオルレアンがイングランド軍に包囲され九死に一生を得ている状況で、シャルル7世(1403年〜1461年)がジャンヌ・ダルクにオルレアンを救うよう命じました。
このシャルル7世がアンボワーズ城の大改修を行い、イタリアから建築家を招いてフランスの建築では初めてルネサンスの装飾を施しました。
また庭もイタリア風のレイアウトにし、これがのちに幾何学的構成のフランス式庭園様式(ヴェルサイユ宮殿の庭など)に発展していきます。


アンボワーズ城の栄華は、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いたフランソワ1世の時代に頂点を迎えます。
後のスコットランド女王で、イングランドのエリザベス一世と覇権争いをしたメアリー・スチュアートも、幼少期はこのアンボワーズ城でアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスに育てられました。(カトリーヌ・ド・メディシスはイタリアのメディチ家出身です)
しかし1562年から正式に始まったユグノー戦争(フランスのカトリックとプロテスタントによる宗教戦争。ユグノーはカトリックからのプロテスタント・カルヴァン派の総称)の序章となる事件がアンボワーズで起こります。


アンリ2世から王位を継いだフランソワ2世は若く病気がちで、妻のメアリー・スチュアートの母方の親族のギーズ公に実権を握られていました。
この状況に不満を抱いたプロテスタント系貴族たちが、1560年にフランソワ2世を誘拐し、カトリック強硬派のギーズ公を引きずりおろそうとと陰謀を企てました。しかし結局計画が実行される前に露見してしまいます。
この計画に関わった人の裁判がアンボワーズ城で開かれ、約1200人のユグノー達が絞首刑に処せられ、アンボワーズ城の城壁などとにかく死体をかけることができる場所で見せしめにされました。


この処刑方法があまりに酷い!と、ユグノー達は同年にカトリック教会の聖像を破壊する行動に出始め、その動きが各地に広がり始めます。
王太后であるカトリーヌ・ド・メディシスはカトリックとプロテスタントの融和を図りますが、親族であるギーズ公が完全に異端撲滅派で失敗に終わります。やがてこのアンボワーズで起きた事件が、30年近く続くユグノー戦争の幕開けとなったのです。
アンボワーズ城はやがて王城の役割を終え、刑務所などにも使われました。現在はフランスの公爵家であるオルレアン家が管理をしています。
フランス王からの最上級のリスペクト


1516年にフランソワ1世は、イタリアのミラノで活躍していたレオナルドを客人としてアンボワーズへ招きます。そしてアンボワーズ城近くのクロ・リュセ城が住まいとして与えられ、亡くなるまでの3年間をこの土地で過ごします。
最晩年とも言われるときですが、レオナルドの才能は衰えず、フランソワ1世の居城の一つであるシャンボール城の設計にも携わりました。シャンボール城内の二重のらせん階段はレオナルドの設計と言われています。
レオナルドはアンボワーズの地で弟子や友人と過ごし、1519年5月2日に亡くなりました。フランソワ1世とは親密な関係を築いており、後にフランソワ1世の腕の中で亡くなるレオナルドの姿が描かれたのです。


現在レオナルドは、アンボワーズ城内のサン・ユベール教会堂に埋葬されています。
もともと城内のサン・フロランタン教会堂に埋葬されていましたが、フランス革命期に荒れた状態となった挙句、ナポレオンの時代に保存価値なしとされ解体されてしまいました。
約60年後にサン・フロランタンの跡地が発掘されると、骸骨一体とレオナルドの名前が刻まれた石が見つかり、現在の場所に埋葬されています。


フランソワ1世は後に、レオナルドのことを
と語っています。
二人の友情に思いを馳せて


年が離れていながらも、友情を築き上げた時のフランス王と天才芸術家。レオナルドの傑作、「モナリザ」は彼の死後、弟子が受け継ぎますが、後にフランソワ1世が買い上げます。
レオナルドが死の直前まで手元に置いて加筆し続けた、「美しい貴婦人」をフランソワ1世は大切に保護しました。
やがてルーブル美術館の、フランスの、そして「人類の至宝」となり、もう(おそらく)二度とルーブルから出ることはないでしょう。
アンボワーズで大切にされた二人の友情に、『モナ・リザ』を通して思いを馳せてみましょう。