岐阜・富山にある世界遺産「白川郷・五箇山」が素晴らしすぎるから、一度は行ってほしい
急勾配の藁屋根を持つ3階建て、4階建ての民家群。飛騨高地から富山湾に流れる庄川に沿った岐阜県の白川郷と富山県の五箇山地区にまとまって保存されている合掌造りの家屋群は世界遺産に登録されています。
山に囲まれたこの地方では農地が狭く兄弟に分けては生活が成り立たないため、多くの家で家庭を持てるのは長男のみ、次男三男は独身のままという大家族の暮らしが続けられていました。
合掌造りの家屋では2階はそうした家族の部屋、3階以上は養蚕というような使い方がされていたようです。
白川郷の和田家・今も生活が営まれています
重要文化財にも指定されている築300年の和田家です。和田家は番所の役人をしていた家柄で、白川郷の中では最も規模の大きい合掌造りの家。今もご家族が住んでいらっしゃいます。
屋根は縄で縛って固定されています。この方法だと地震で揺れても壊れないそうです。1階の囲炉裏の煙が2階、3階の床の隙間を通って屋根から抜けていく構造ですが、その煙が殺虫効果をもったり、縄を固く強くしたりして家を長持ちさせています。
白川郷の合掌造り民家園は体験もできる野外博物館
合掌造り民家園では使われなくなった合掌造りの家屋を移築・保存して昔の生活の仕方を再現しています。現在民家園には25棟の合掌造りの家屋があり、白川郷の歴史や文化を学んだり、昔の生活を体験できたりします。
飛騨の匠の技術が息づく明善寺
江戸時代の末に真宗本覚寺より分派した門信徒によって建てられました。建築に携わったのは飛騨の匠で知られる高山の大工です。梵鐘は創建当時のものは第二次大戦中の供出で失われ、現在のものは高岡市の鋳金工芸作家・中村義一氏作です。
五箇山・昔は橋を架けられないきまりでした
五箇山地区は加賀藩の庇護のもと煙硝の製造と養蚕をおこなってきました。煙硝製造の秘密を守るためとか、流刑地であったためとか言われていますが、庄川に橋を架けることが許されず籠を使って川を渡っていました。
35人も住んでいた大きな岩瀬家・五箇山
準五階建ての岩瀬家では地下は煙硝の製造、3階から5階は養蚕の作業場でした。1階の囲炉裏の温もりを上階に上げ、風通しも良くするために上階の床板は目皿という透かしのある構造になっています。
春は恒例の障子の張替えが行われますが、枚数が多いので大変です。35人も住んでいた時代なら手分けも簡単だったでしょうけどね。
五箇山の村上家は400年前に建てられたらしい
いちばん古い頃の合掌造り。囲炉裏の煙で薄暗い2階は養蚕の作業場でした。大きな屋根を支える梁は曲がった木の根本をそのまま使ってあります。強度があるので屋根の重みを受けるのに適しているそうです。豪雪地帯の知恵でしょうか。
家の裏手には囲炉裏で使う薪がたくさん用意されていました。冬を乗り切るには今でも大切な準備です。
まとめ
庄川の中上流域は険しい谷が続き、冬は深い雪に閉ざされ陸の孤島ともいうべきところです。江戸時代には加賀藩の流刑地とされたり、五箇山には平家の落人伝説があったりします。
観光客の増えた現在、昔ながらの雰囲気を味わうなら雪の季節がおススメです。1階部分がすっぽり埋まってしまうような雪の中には変わらぬ暮らしが息づいています。
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