1868年に江戸から明治へと時代が大きく変わり、それまで鎖国体制をとっていた日本は否応なく近代化された西欧文明と向き合わねばならなくなりました。

薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)はイギリスなど列強との幕末の戦争を通して西欧の軍事力の強さを実感しており、明治に入って政治の中心に座ると富国強兵のスローガンのもとに日本の近代化を進めていきます。

 

各地に新しい技術を取り入れて近代化を推し進めてきた歴史遺跡が残っています。刀を捨てて間もない人々がよくぞここまでという物もたくさんあり、先人の営みに頭が下がります。

世界遺産決定の詳細については下記をご覧ください。

明治産業遺産 世界遺産に決定(2015年7月5日(日)掲載) – Yahoo!ニュース
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6166016

 

新しい技術は外国から

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photo by yoppy

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photo by hiroooooki

旧幕時代から長崎では出島を通じてオランダ貿易が行われていましたが、幕末にスコットランドから来た21歳の青年トーマス・グラバーも茶や武器船舶などの貿易商社を作りました。

グラバーは陰で志士たちの援助もし伊藤博文の英国留学を助けたりしましたが、明治になると産業立国の方針のもと、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業を政府と協力して興していきました。

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旧グラバー住宅はグラバーとその息子の住まいでした。湾を見下ろすロケーションはプッチーニの「マダム・バタフライ」を連想させるところで、園内にはこのオペラを得意とした三浦環の銅像もあります。

 

船はドックに、乗組員はこちらに

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photo by hiroooooki

船が修理のため造船所に入っている間は乗組員は近くの宿舎に泊まります。旧三菱第2ドックハウスと呼ばれる建物は、ドックの近くにあったものをグラバー園に移築して保存しています。

 

形からソロバンドックの異名がある小菅修船場跡

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photo by nachans

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photo by nachans

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photo by nachans

トーマス・グラバー、小松清廉(帯刀)、五代友厚(才助)達の尽力によって1868年に完成した日本で最初の西洋式ドックです。翌年政府が買い取り、後に三菱の所有になり、現在の三菱重工業長崎造船所のもとになりました。

 

近代化は製鉄から、エネルギーは石炭でした

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photo by ajari

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photo by tsuna72

重工業を発展させるために必要な鉄、特に鋼鉄を生産するために、政府は日清戦争で得た賠償金を使って八幡製鉄所を1901年に建設し、燃料の石炭を調達するために高島炭鉱をはじめ、三池炭鉱、端島炭鉱(軍艦島)を開発しました。

 

明治時代を牽引した萩の人々

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photo by Kuruman

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photo by kaidouminato

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photo by dreamcat115

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photo by kaidouminato

明治維新を成し遂げた薩長土肥各藩の中でも、維新後の政府の中枢には初代総理大臣伊藤博文をはじめ長州藩出身者が目立ちます。彼らを育てた萩の町を訪ねると、精神的支柱であった吉田松陰の松下村塾、伊藤博文の屋敷などが大切に保存されています。

 

幕府の代官も危機感を持っていました

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photo by Masaharu Fujikawa (藤川正治)

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photo by Masaharu Fujikawa (藤川正治)

静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉は、幕末期に江戸幕府によって築造が始まりました。アヘン戦争に列強の脅威を感じた韮山代官江川英龍は大砲鋳造のための反射炉の建設を幕府に建議し、息子の手によって完成、稼働しました。

 

まとめ

アジアの国々が欧米列強の植民地になっている時代に、列強に対等な存在になろうと富国強兵を推し進めてきた日本の産業革命の跡です。

先人達のおかげで日本は植民地化を免れましたが、同時に、後の太平洋戦争につながる列強とのしのぎあいの歴史に足を踏み込んだともいえるでしょう。

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