「コーヒー作りは、育てていた畑の木が全滅してからハマった」

奄美群島のひとつ、「」でコーヒーの木を育てている宮出博史さんは、「全滅」というショッキングな過去を、心なしか少しだけ楽しそうに語った。大阪から徳之島に移り住んだ彼は、地域おこし協力隊の仕事と掛け持ちで、徳之島の土地に合うコーヒー作りの確立と、国産コーヒーの未来を切り開く仕事をしている。

 

「不思議な人です」

 

同じく大阪から移住して、宮出さんのコーヒー作りを手伝う石垣さんは、彼のことをそう表現する。日本におけるコーヒー栽培の教科書はない。先駆者となる諸先輩方でさえ、今も試行錯誤しながら道を作っている。そんな中、宮出さんの好奇心と探究心は、これまで「個性がないのが個性」と言われ続けてきた国産コーヒーを、確実に変えつつある。

日本の伝統技術との掛け算でスペシャルティを超える

宮出さんのコーヒーは、一体どんな味がするのだろう?

彼に会う前から、とにかく一番気になっていたのはこのことだ。しかし、私を含めて一般の人が宮出さんのコーヒーを飲めるようになったのは、つい昨年のこと。それまでは、コーヒーフェスのようなイベントに出店することはおろか、コーヒー作りに関する一切の情報を外に公表することはなかったという。

栽培を始めて11年目になる2018年、決して多くはないが、やっと人に飲んでもらえるほどの収穫量と味ができたこともあって、彼のコーヒーは世に出たのだ。それらの事情を踏まえると、味がますます気になってきた……。

焙煎まで、自らの手で。

 

「僕は、スペシャルティコーヒーにはあまり興味がないんです」

 

うちはスペシャルティコーヒーしか扱っておりませんっていうお店があるけど、農家さんたちが一生懸命作った豆のわずか数パーセント位のものしか使わない店って、冷たく感じてしまう。それに、現実は教科書通りではなく、スペシャルティのように美味しいコーヒーはもっとたくさん存在する。

時流でもある“スペシャルティコーヒー”に宮出さんが関心を示さない理由は、そんなところだ。

 

「それに今、僕らのやり方でスタンダードの豆でスペシャルティを越えていこうと思ってる。生産者を救うってカッコイイこと言ってる人たちは増えたけど、ロブスタ種を堂々と売るやつも、ロブスタ種の生産者の思いを伝えた日本人もまだいない。それだったらロブスタ種でめっちゃ美味しいコーヒーを堂々と出せるようになった方がカッコイイ」

 

コーヒー豆には、「アラビカ種」と「ロブスタ種」、大きく分けてこの2種類がある。アラビカ種は世界のコーヒー生産量の6割を占め、高品質と言われる一方、ロブスタ種は生育過程において病害虫に強いなどのメリットがあるものの、アラビカ種に比べると苦みや渋みがあるとされ缶コーヒーなどの材料に使われているのが現状だ。

南国の空気に混ざって、甘くて香ばしい香りが部屋中に広がった。

 

「僕らは高級な豆を作りたいわけじゃないんです。でも、うまくいけば今までスタンダードだった豆とか、捨ててたような豆が、めっちゃこれ美味しいやんってなるような技術を研究してる。まだ詳しくは言えないんだけど、日本のある伝統技術を応用して、スタンダードな豆でスペシャルティコーヒーを越えていこうと動いているんです。ゲイシャを越えようって」

 

成功すれば、今までの常識がひっくり返る。世界中の、買い叩かれていたような豆の農家さんにも貢献できるという。

焙煎したら、乾かす作業。

 

「それに日本人って、欧米人と違って唾液が少ないから、酸っぱいコーヒーより、じつは甘みがあってほろ苦いようなコーヒーが好きな人がやっぱり多い気がするんです。その嗜好に合う甘い系のコーヒー豆は、生育条件的に徳之島で作りやすい」

 

栽培法に関しても、“どこかと同じ”を目指すのではなくて、「徳之島」での栽培に合うコーヒーを作ろうとしている。話を聞けば聞くほど高まる宮出コーヒーへの期待……。

「まあ、飲んでもらえばわかる」

そう言う宮出さんに、私たちはついていくことにした。

収穫まで11年。全滅してからがハマった

一刻も早くコーヒーが飲みたい。その気持ちをこらえて、まず先に向かったのは、宮出さんのコーヒー畑だ。急がば回れである。

まだ青いコーヒーチェリー。これが真っ赤になる。

 

ところで、コーヒーを片手にこの記事を読んでいる人もいると思うが、その手に持ったコーヒーの原料となるコーヒーチェリーが収穫できるまでには、一般的におよそ5年かかると言われているのを知っている人はどれくらいいるだろうか。

植えたらその数ヶ月後には食べられる野菜や果物と比べれば、それでも長い年月がかかるなぁ……という印象だが、現実はさらに厳しい。

以前に全滅した畑。いつかここも復活させたいという。

 

宮出さんは、30歳までは大阪市内で料理人をしていた。その後は、常連客にも愛されるコーヒーショップも経営。続けていく中で、今後「自家焙煎のコーヒーを出す店」というだけでは生き残れない、答えは「自家栽培」だろうと考えて、たまたまツテがあった徳之島に土地を買ったという。

その後、初めのうちは大阪と徳之島を行き来する生活をスタート。自分が作るところから、加工して最後の提供まで見届けられる商品を作ってみたいという思いもあったという。

 

「でも、4年半かけて2500本になったコーヒーの木が、台風で全滅。教科書通りなら5年で自家栽培のコーヒーを提供できると思ってたから、また振り出しに戻されて、そこから5年は過酷でしたよ(笑)」

 

それでもコーヒー栽培を続けたかった。だから大阪で経営していたバルとか、カフェでも利幅のいいアルコールに手を出したりしながら資金を調達して、凌いで凌いで……。

 

「でも最終的には差し押さえられて終わりましたけどね(笑)」

苗は自分の力だけで育てるから、時間はかかるが強い子が育つ。

 

とにかく、教科書がない。全てが試行錯誤だ。

 

「でも試すしかなかったし、毎年一回しかチャレンジできないってのもおもしろかった。そして、全滅してからが完全にハマった。全滅するまでは、ビジネスとしての興味の部分が大きかったけど、だんだんそちらの興味はなくなっていったんです」

 

しんどい過去をさらりと言ってしまう。奇特な人である(褒め言葉です)。

「農業の知識はなかったから、最初の頃はブラジルのコーヒー畑をイメージしながら感覚で(笑)」

 

「最初はだだっ広いところで栽培を始めたから、木が台風や夏の日差しで痛めつけられたりしてて、4年たってもあんまり大きくならなかった。その時点で、じつは自分の中で違うのかなって答えが見えていて、別の畑を買ったくらいのタイミングだったので、最初の畑が台風でやられた時は、とどめを刺されたというか、やっぱりなあという感じだった」

 

再チャレンジは、もう一つの畑でできる。何が大変だったかと言えば、資金が追いつかなかった。5年栽培に打ち込めるくらいの貯蓄は用意してきたけど、それ以降は想定外だったから。そんな状況で苦労を重ねながらも、ここまで来られたのは、彼曰く、ただこれだけだ。

 

“やめなかったってだけ”。

「今成功してる人って、じつはほとんどみんな全滅を経験してたりする。そんな先輩たちがここまでやってきたのを見てきたのもあると思います。でも、この後に続く人たちにはそんな経験させないように、僕らが導いていかないといけないと思ってますけどね」

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