松尾芭蕉が「奥の細道」の中で「三代の栄耀一睡の中にして」と述べている奥州平泉は世界文化遺産に登録されています。中尊寺をはじめとする寺院とその遺跡群は現世の極楽浄土をめざし藤原氏三代が作り上げたものです。

戦いに明け暮れ肉親を多数失った藤原清衡は非戦の誓いを掲げ浄土思想に基づいた阿弥陀堂、浄土庭園を本拠地平泉に作っていきます。

 

当時奥州では膨大な量の金を産出し、その経済力を背景に京の都の文化を「みちのく」(道の奥)とよばれた平泉に再現しました。

 

五月雨の降のこしてや光堂・中尊寺金色堂

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photo by Jun Seita

中尊寺の金色堂は光堂とも呼ばれ、外側も内側も皆金色の光輝く阿弥陀堂です。鞘堂というひとまわり大きなお堂にすっぽりと包まれていますが、中に入ると黄金の輝きに圧倒されます。

藤原清衡に建てられた金色堂は4本の巻柱、須弥壇、長押にいたるまで、夜光貝の螺鈿、透かし彫りの金具、漆の蒔絵など平安時代後期の工芸技術の粋がほどこされていて、藤原三代の栄華がしのばれます。

 

中尊寺には他にも美しい堂宇があります

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photo by n.kondo

中尊寺の境内には釈迦堂をはじめたくさんの堂宇が点在し建立された当時の壮大さがわかります。

 

浄土庭園の粋・毛越寺

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photo by KimonBerlin

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photo by cyber0515

毛越寺は2代目藤原基衡によって造営が始められ、秀衡の時に完成しました。奥州藤原氏が滅んだあと堂宇はことごと焼けてなくなりましたが、浄土庭園はじめ遺構がほぼ完全な状態で保存されています。

 

大泉が池にそそぎこむ遣水

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photo by KimonBerlin

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photo by HerryLawford

繊細な美意識で自然を模した遣水は平安貴族の庭の象徴です。

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夏草や兵どもが夢の跡・無量光院跡・観自在王院跡

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photo by KimonBerlin

江戸時代に平泉を訪れた松尾芭蕉は奥の細道の中に「夏草や兵どもが夢の跡」と残しています。無量光院跡や観自在王院跡はこの句を象徴する風景です。

3代藤原秀衡が宇治平等院鳳凰堂を模して造った無量光院は礎石だけ残して跡形もありません。建物の中心から西を望むと金鶏山があり、そこに沈む夕日を見ていると極楽浄土に導かれるような気持ちがします。

 

「秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す」と芭蕉に言われた金鶏山の頂上には黄金の鶏が埋められているという伝説があります。

観自在王院は藤原基衡の妻が建立したものですが、内壁に賀茂の祭りや石清水八幡宮などの京都の名所が描かれていたそうです。基衡の妻をしのんで毎年5月4日「なき祭り」が行われています。

 

高館に今も在る源義経

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photo by KimonBerlin

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photo by KimonBerlin

高館は源義経が兄頼朝の意を受けた藤原泰衡に攻められ最期を遂げた地。仙台藩主伊達綱村はそこに義経堂を建立し本尊として義経像を祀りました。

 

坂上田村麻呂の足跡・達谷窟毘沙門堂

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photo by n.kondo

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photo by n.kondo

平安初期の武将坂上田村麻呂が蝦夷と戦い勝利をおさめたお礼に建立した毘沙門堂です。懸崖造りで、本尊は丈六の不動明王像です。また北限の磨崖仏といわれる岩面大佛もぜひ見たいものです。

 

まとめ

非戦を掲げ、浄土思想を具現化した平泉の寺院群は世界平和を祈る象徴として世界遺産に登録されています。

 

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