【真っ白な世界遺産】白鷺城と呼ばれる姫路城の美しい景観と歴史
大天守の修理を終えて2015年春から一般公開されている姫路城は別名白鷺城(しらさぎじょう・はくろじょう)とも呼ばれる白い外観が目を引きます。
この城で黒田官兵衛が産まれた頃は小さい城でしたが、江戸時代に入って池田輝政の手によって今の天守が築かれました。白漆喰総塗籠の5層7階建て、連立式天守の城です。
築城以来一度も戦火にまみえる事のなかったお城は、現存12天守の1つ、国宝4天守の1つです。大天守は、JR姫路駅を出るとお城まで真っ直ぐ伸びている道の向こうにそびえています。
白鷺のイメージは真っ白な大天守
大天守は天守台の東南隅にあり、最上階の屋根の上には阿吽一対の大鯱瓦が飾られています。千鳥破風、大千鳥破風、唐破風を組み合わせた美しい外観です。
白漆喰総塗籠というのは外壁だけでなく屋根瓦の目地も白漆喰が塗り込められており、そのため遠目には真っ白に見えるのです。2~3年すると風雨にさらされて少し黒ずんでくるそうですので今のうちに見ておきたいですね。
大天守からは姫路の町が一望できます
姫路の街中にある姫路城は石垣と大天守を合わせると46mの高さがあります。町も一望できますが、もしも敵に攻められたらあそこで防いで、ここで待ち伏せてと計算されているのがよくわかります。
武者走りが周りを囲んでいます
天守は普段の住まいではなく、シンボルであり、いざという時の守りの要です。中に入ると中央部に幾つか部屋のある階と広間が1つだけの階があります。広間は武者だまりといって戦いの時に武士が詰める場所です。
どの階も周囲は廊下のようなものでぐるっと囲まれています。これは武者走りで、武器も置いてありますし、ここから攻めてくる敵を攻撃しました。
真っ直ぐ突撃は無理です・菱の門
大手門を入るとあっちへ曲がったり、こっちへ曲がったり敵を翻弄するように作られていますが、この菱の門も二の丸の入口を守る要です。安土桃山時代の様式を残した城内で一番大きな門です。
壁や塀に小さい穴が並んでいます
塀に開けた小さい穴は鉄砲狭間や矢狭間といい、攻めてくる敵を待ち伏せてここから攻撃するためのものです。
自然の石をそのままの形で積んだ石垣
一見乱雑に見えますが野面積みという積み方でとても丈夫な石垣です。
千姫も住んでいました
大阪城が滅んだ時、豊臣秀頼の妻だった千姫は祖父徳川家康の手で救い出され、その後本多忠刻に再嫁します。本多家では悲劇の姫を思い、遣わされた化粧料10万石を使って千姫のための新しい御殿を作ったりして慰めました。
千姫が29歳の時に本多忠刻が亡くなり、姫は江戸に戻りますが姫路城での生活は束の間の幸せの時だったと伝えられています。
西の丸は千姫の住まいで、化粧櫓は休息所として好んで使った部屋だそうです。長局のたくさんの部屋にはお付きの侍女たちが住みました。
まとめ
城内には「播州皿屋敷」で有名なお菊井戸もあります。1枚、2枚・・・9枚、10枚目がなくて身を投げたと言われる井戸です。戦争はなくても悲劇の歴史はあったようですね。
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