一番ヨーロッパに近いアフリカ「モロッコ」の世界遺産まとめ
ヨーロッパに一番近いアフリカのモロッコ。アフリカに行きたいけど、治安や衛生面が心配で…という方にも、訪れやすく人気があります。
フェズやマラケシュなど1つ1つの街が際立っており、世界遺産に登録されています。そこで今回は、モロッコにある9つの世界遺産を全てご紹介します。モロッコ観光の参考になれば幸いです。
フェズ
イドリース朝やマリーン朝など、かつてのモロッコのイスラム王朝の多くが首都と定めていたフェズ。遷都された後も、モロッコ人にとって特別な都市であり続けています。
旧市街はその複雑な構造から迷路にも例えられており、カラウィーン・モスクをはじめとする歴史的建造物が残されています。1981年に世界文化遺産に登録されました。
マラケシュ旧市街
南の真珠という別名も持つマラケシュ。北アフリカでも最大規模を誇る旧市街には、王宮のほか、エルバディ宮殿倍亜宮殿、ベルアベ陵、アグダル庭園、サアド朝の墳墓群などがあります。
1985年に世界文化遺産に登録され、旧市街の中心にあるジャマエルフナ広場の文化空間は2001年に無形文化遺産にも登録されています。
アイト・ベン・ハドゥの集落
サハラ交易の中継地として栄えていた頃、アイット・ベン・ハドゥによって築かれた集落です。当時、数多くのカスバと呼ばれる邸宅が建築されましたが、その中でも孤立した集落です。
盗賊などから守るための城壁に囲まれており、外壁には銃眼が施され、篭城のための食料庫も備えられています。1987年に世界文化遺産に登録されました。
photo by Alexander Cahlenstein
古都メクネス
9世紀に軍事拠点として築かれた後、17世紀のスルタン、ムーレイ・イスマーイールの時代に栄えました。1972年に都となり、イスマーイールの50年余りに及ぶ統治の間に、巨大な城壁や門、穀物倉庫などが建設されました。
町にはヨーロッパとイスラムの建築様式が融合されたスペイン・ムーアスタイルの建築物が並びます。1996年に世界文化遺産に登録されました。
テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)
8世紀頃から栄えた都市ですが、一度スペインによって破壊され、15世紀にレコンキスタによって逃れてきたイスラム教徒とユダヤ教徒の人々によって再建された都市です。
旧市街は16世紀に築かれた城砦に囲まれ、中心には王宮が建ち、アンダルシア風の白壁の家々が立ち並んでいます。1997年に世界文化遺産に登録されました。
ラバト:近代の首都と歴史都市の側面を併せもつ都市
城壁都市という意味をもつラバトの町はその名の通り歴史を感じさせるカスバに取り囲まれています。内側にはランドマークとなっているハッサン塔、そのそばにはモハメッド二世の棺も安置されています。
ハッサン塔はマンスールが世界最大のモスクを作るために建築に着手したものですがミナレットも完成しないまま未完成で残ったものです。
エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)
16世紀にポルトガルとの貿易と軍事の拠点として栄えた町ですが、その後一度衰退し、1765年にスルタンによって近代的湾岸都市に改造され、再度大きく発展しました。
アフリカ西海岸で唯一ヨーロッパへ開かれた国際貿易港となり、旧市街にはヨーロッパの建築様式の影響を受けた美しい街並みが残っています。2001年に世界文化遺産に登録されました。
ヴォルビリスの古代遺跡
紀元前40年頃から始まった都市の古代ローマ遺跡です。肥沃な土地を有していたため、小麦やオリーブオイルをローマへ出荷することで大きく発展しました。
遺跡からは、美しいモザイク・タイルが見られる邸宅や油の製造所、公共浴場などが発掘されています。北アフリカにおける古代ローマ都市の文化を知ることができる貴重な遺跡であることが評価され、1997年に世界文化遺産に登録されました。
マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市
1502年にポルトガル人によって築き出された湾岸都市です。巨大な城塞を持ったマサガンは、インド貿易において重要な中継地となりました。
旧市街は、当時ポルトガル人によって築かれた城砦に取り囲まれ、ヨーロッパとモロッコの文化が融合した建築様式の建物や街並みが残っています。2004年に世界文化遺産に登録されました。
まとめ
いかがだったでしょうか。世界遺産の他には、サハラ砂漠へのツアーに参加することがとてもおすすめです。日本ではとても見ることができない景色を独り占めすることができますよ。
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